どうも、世の中には批判することが大すきな人間が多いようで。

頭がよくてもどっちにしろ批判される事実

批判がすきな人がやってることは、心理学的にみるとマインドコントロールなんじゃないかと思ったので、そのことについて分析しつつ書いてみます。

なぜ批判のすきな人が批判しつづけるのかを考えてみると、その裏には明確に計算されて行われる悪意があることに気づきます。

「とにかくお前はダメなんだ」とくり返し批判してくる人間って近くにいないですか?

私の場合、まず家族がそのタイプでした。子どもは親を選べないので(最近よく言われる)『毒親』というのに当たると、日常生活をぶち壊されることになります。

ただの悪口といっても、それが毎日つづくわけです。何年も何十年もくり返し否定的な言葉を浴びせられることで、いつしか本当に洗脳されてしまいます。

警察が無実の人間に誘導尋問をしてムリやり罪を着せるために、問題になってることがしばしばあります。

罪のない人間でも「お前は犯罪者なんだ。」と100回も1000回も言われつづけることで、実際にマインドコントロールされてしまうことが実証されていると言えます。

外部との交流を遮断されることも大きいでしょう。周りの人間がみんな自分を否定する環境にいると、自分は悪なんだとほんとうに思ってしまうことがあるのです。

人間の脳は不完全なシステム

そして、他人をくり返し批判するタイプの人間は意図してか知らずか、他人に誘導尋問をしていることになります。「お前はバカなんだ。」と毎日言い聞かせる人が近くにいるだけで、自分のことを「無能なんだ」と信じこんでしまうかもしれません。

心理学的に、『誘導尋問』なんですよ。これ。

やってることは犯罪に近いです。法で裁けないものですが、本質は犯罪行為と同じですよね。

周りにいるおかしな人のせいでマインドコントロールされて、人格まで変えられてしまうのは迷惑きわまりない話です

自信を失ってゆとりを失うと、生きていて楽しくないものです。

しかし、言葉がもたらす影響というのはけっこう計り知れません。メディアによっても人は知らず知らずのうちに影響され、偏った価値観を刷りこまれてしまうのです。

心理学において、人間の意識の大部分は自分では気づかない『無意識』が占めているとされてます。無意識は意識よりも大きな領域をもちます

日常に見聞きする映像や言葉をコンピューターのように処理してくれます。この無意識があるおかげで人は日々ちゃんと生きていけるわけです。

しかし、この無意識も万能ではありません。いつも自分に否定的な言葉を浴びせられる環境では、周りがすごくレベルの高い世界なのだと錯覚してしまうみたいです。

警察の誘導尋問によって自分を犯罪者だと思いこんでしまうケースというのは、無意識の思考がつねにパーフェクトではないことの証明です。

人の意識の大部分を占める無意識は、ときに錯覚をしてしまう。情報を遮断された環境で「お前は犯罪者である。」と言われつづけると、この無意識は「自分は犯罪者である可能性が高い。」と認識してしまうのでしょう。

そんな記憶がまるでなくても、脳はそういう認識をしてしまう。人間の脳は不完全なシステムだからです。

脳の弱点を利用して、下僕をつくる。

脳に保たれる記憶も、わりと不完全であることが分かっています。脳は情報を正確に記憶しておけないのです。昨日はバナナを食べたはずだと思っていても、じつはアボカドだったかもしれません。

脳のシステムは不完全であるために、逆に利用されてしまうことにもなるのです。

脳の弱点を経験上知ってるのか、警察とか宗教組織とかは人の心理を意図的に操ったりということもするようです。会社の新人研修なんかも近いものがあるかもしれません。

研修を担当するプロは、どうすれば従順な社員を育てられるかを知ってるかのようです。科学的な理解があるかはともかく、こうすれば人は上の者を信仰し、おそれ従うようになる。というパターンを熟知しています。

徹底的に新人社員を否定し、外部との情報を遮断し、最後に大げさにホメる。アメとムチを交互に与えつづけることで、新人は従順な下僕に洗脳されていく。

でも、これって犯罪ですよね。

実質、犯罪です。権力を行使して逆らえない人間にムリやり無意識レベルの人格矯正をほどこす。その会社に恩や忠誠すら感じるようになり、会社のためにと身を粉にして働く奴隷のでき上がり。

法で取り締まれないギリギリのところで人をロボットにする。ヒドイと思いませんか? これやってる本人たちは、それが誘導尋問だと気づいてないかもしれないですけど(気づいてても、言わないでしょうけど)。人の自由意思を力で押さえつけるやり方は、どうかと思うんですよねえ。

そのことを批判しようとすると、「大人はズルイんです。」とか言いだす始末。さすがに笑っちゃいますよね。

ズルイ大人もいますけど、大人はズルイって言っちゃうと間違いでしょ。世の中にバカ正直で誠実な大人って、一人もいないんでしょうか? ズルイほうが社会で得をしやすい面はありますが、マジメ正直な大人も損しながら目立たないところで生きてるかもしれません。ワケの分からない世間を知ったような理屈をもち出すのも、批判好きな人間の特徴。

批判がすきな人というのは無自覚にしろ計画的にしろ、やってることは誘導尋問とおなじ。マインドコントロールである。犯罪に近い。

批判がすきな人は、自分は善良という立場をとる。被害者のフリをして、対象を加害者に仕立てあげる。

相手を悪者にできれば、心おきなく攻撃できるわけだ。だから、つねに人のあら捜しをしている。

なぜそんなことをするかといえば、根っこに悪意があるためだ。

じゃあ、なんで悪意があるんだ?

という当然の疑問がうかぶ。理由は単純である。自分が得する側に行きたいからなのだ。

得する者と損する者

世の中の法として、得するものと損するものがいる。ふつう、人は得する側に行きたい。『勝ち組』になりたいと思うものだ。

勝ち組になるには、負け組を作る必要がある。負けるものがいないと、勝つものは生じえないのだ。

他人を負け組に落っことしたいから、攻撃や批判を加える。どうにもならない、この世の構造かもしれない。

セコイよなあと思うのだが、セコイ人間というのはどこにでもいるらしい。力まかせに人を批判して、真実でなくてもウソを言ってでも人を悪者にしようとする

ちなみに、批判してくる人は自分よりバカには見下す態度をとり、自分より頭いい者には調子乗ってるとかワケの分からない主張をくり出します

頭よくても悪くてもどっちにしろ否定されるんだから、たまったもんじゃない。さすがに迷惑すぎるな、こういう人種は……。

こういう迷惑な連中に対する一つの対抗手段として、聖書の言葉を引用させていただくと。

あなたの敵を愛しなさい。自分を迫害する者のために祈りなさい。

というのがありますね。

いや、そんなのムリだろと思うのはむしろ当然。ムカつくやつは、やっぱりムカつきますもんね。

ただ、これは心理学で見てもすごく合理的な態度だなと思うのです。

まず、批判してくる人というのは大前提として、私たちを悪者にしようとします。あら捜しをしてでも批判ポイントを見つけ出そうとしているのです。

なので、迷惑な相手に言い返すと、そのことでまた自分が悪者にされかねません。敵に批判する材料を与えてしまうことになります。

そこで、迫害してくる者のために祈りなさいと聖書は言います。敵ですら憎まずに(というか憎まないフリをして)、幸せを祈ってあげましょうと提案しているのです。

あまりに良い人すぎて、善人すぎて、悪者にしようがないですよね。批判しようにもできなくなるんですよ。

性格が穏やかで良い人を批判すると、今度は批判してる自分が悪者みたいになっちゃいます。敵に攻撃する隙を与えない戦略なんですよ。

まあ、それでもムリやり批判ポイントを捏造してでも、否定してくるシツコイやつもいるかも分からんですが、そういうのはもはや完全に異常者かと。頭おかしいですよ。私などはそんなやつが近くにいたら、怒るほうが正常だと思いますよ。怒るでしょ、ふつう。

でもでも! すると今度は「キレる若者」とか言って否定してくるわけでしょ? もうさ。批判する人って、何しても否定してくるんだよね。めんどくさいし、うっとうしい。

結局、聖書の言うとおりにするのが一番かもね。敵に反撃しなさんなと。右の頬をぶたれたら、もう片方も差し出しましょう。そういう行為をもって、逆に敵を悪者にしちゃいましょうっていう戦略なんです。聖書はけっこう、したたかな教えですよ。

キリスト教っていうと、すごいマジメな宗教ってイメージがあるででょ? 聖書の中身は、そんな優等生な内容じゃないですよ、意外に。内容は大ざっぱに言って、神がセカイを大改造して新王国を築くから、そこに行って永遠の命を得る者と火に焼かれて死ぬ者とを選別しますよ。サタン(悪魔)が人の道を踏み外させようとしてくるけど、聖書にある神の言葉をきちんと守って生活していると、幸せな楽園に行ける側になれるよというお話。

サタンの誘惑に負けて聖書の教えに背いて生きていると、火に焼かれて死んでしまうらしいです。現代の社会でもそうですが、頭のおかしな人に洗脳される前に敵のために祈って自分を善人にする、したたかな生き方をしましょうねって教えですね。(※筆者の個人的な解釈です)

ぶってくる相手には、もっと殴らせてやりなさいと。そうすれば、敵もさすがに悪者になってしまいます。そういう生きる知恵

2000年読まれてきただけのことはある内容。

近くにヘンな異常者がいて困ってる人は、こうした聖書の言葉を参考にしてみるのもいいかもしれません。精神のストレスを溜めるのが一番よくないので。

正直な者の生きる知恵

私はキリスト教の信者ではないので、読んだうえで神を信仰しましょうなんてことはオススメする気もないですがね。というか、神を信仰できる人間の感覚もよく分かりませんけど。疑ったり調べてみることも大事だと個人的には思いますので。

ただ聖書に書いてあるからと神を信じるのは、ちょっと盲目的だと考えおります。なので、この記事では聖書に書いてある内容を科学的に考察して、解釈してみました。

誘導尋問をして犯罪者に仕立てあげようとする人に、どうやって対抗するのか。大前提として、私たちを悪者にしようとしてくるので、先に否定しようのない善人になって敵を悪者にしてしまいましょう

無意識のシステムは不完全なので、情報を遮断されたイビツな環境下では錯覚を起こしてしまう。記憶になくても、自分は犯罪者なんだとすら思ってしまうことがある。

洗脳に対抗するには、自分を否定する材料を与えないことです。狭い価値観しか語らない人間とはなるべくキョリを置き、外部の人間と交流をもつようにする。(外部の人間も批判好きニンゲンだったら、どうしようもないですが。)

くり返し否定することで洗脳まがいのことをするなら、自分もまたくり返し自分をホメつづけるのもアリでしょう。無意識はくり返し何度も刷りこまれたことを本当だと認識してしまうクセがあります。

だから、自分で自分をホメる習慣をつける。自分をホメてくれるのは親か自分くらいなのだから。(私の親は、子どもをけなしまくってましたが。)

傷つけられた自意識を回復する習慣をもちましょう。自分を大切にしてあげてください。自分を大切にできるのは、自分だけです。

目標をもつこともいいかもしれません。向かうべきものがあれば、どうでもよい批判は無視できますね。成功体験を積むことで、強固な自信も付いてくるものです。

確かな自信は己れを批判から守ってくれます。努力の結果生まれる成功への手ごたえと自信は、他人からの影響を受け付けません。

努力することは、自分の心理に確かな地盤を築きます。泥臭い努力は、そんなに悪いものではないかもしれません。

努力して成功を重ねる者をだれも悪者にはできませんよね。謙虚さが大事と言われるのは、自信まんまんに振るまって自分を悪者にしても損だからです。したたかなんですよ、謙虚さというのは

謙虚ってのは美徳というより、偽善によって得な生き方をする知恵なんでしょう。めんどくさいけども。炎上覚悟で言いたい放題言ってしまうほうが、むしろ正直ですがすがしい。ただ、自ら批判の的になるようなものなので、やる場合はそれなりに覚悟が必要であります。

さまざまな言論がとび交うめんどくさい世の中をどう生きていくか、自分なりの考察を書いてみました。参考になるか分かりませんが、ちょっとでも役に立ったら幸いなことです。

最後まで目を通していただいて、ありがとうございます☆

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