弱さと嘘とマインドコントロール

弱さと嘘とマインドコントロール

世の中、悪い人間はいっぱいいます。

良い人というのは、私の人生の中であまり見たことがありません。

そんな中でもっとも悪質な人種の一つだなと思うのが、弱いフリをする人間です。

というのも、筆者自身がこういうタイプの人間にさんざん絡まれて迷惑だった経験があるからなのですが……。

基本、無視してれば害はなさそうに見えるのですが、わりとどこにでもいるため非常に厄介な種族でもあります。

しかも、弱いというのは人を操作する上でもすごい便利な特質だなあとも思うのです。本当に厄介です。

そういう弱いという嘘を利用する人たちについて思ったことを書きます。

謙虚といえば聞こえはよいけれど……。

このブログの筆者は、基本謙虚ではない人間です。

キライなんですよね……、自信なさそうに振る舞うこと。

外国人って、わりと自信まんまんな感じの人多いじゃないですか?

日本人のように自分を下げて、相手をもち上げるということを海外では普通しません。

外人というのは、自分がいかに優れているか・能力が高く合理的かということを開けっ広げに言います。

まあ、外人の知り合いがいるわけではないんですけど、外国製の映画とかテレビ番組とかニュースを見ていると、何となく分かると思うんですね。

海外では、自分を卑下する人間は珍しくすらあります。

自分を積極的にアピールしない人間は、むしろ無口で暗いやつと思われかねません。

ゆえに分かりやすいのですね。

陰湿さがなく明白なんですね。

日本だと、自分を卑下してダメなやつっぽく見せることで、それが美徳だと評価されます。謙虚でいることで周りからの評価も高くなりやすいです。

卑下することは日本社会では実質的な得があるんですね。

しかし、この風習そんなに建設的で生産的なものなんでしょうか?

日本人特有の被害者意識

ほんと迷惑だなと思うのが、私なんて大したことないですから、と言って保険かける人種。

大抵その後に「いえ、そんなことは無いですよ。私だって似たようなもんですし。あなたはわりと立派にやってるんじゃないですか?」みたいなお決まりの流れの会話がつづきます。

ほんとうにそう思ってるのではなく、定型の挨拶みたいなもんです。相手のことをよく分かった上でのフォローとかではありません。馴れ合いですね、互いに相手を誉めたたえる何の得があるのかよく分からない儀式。

その会話、回りくどいしムダじゃないのとなるべく早く気づいてほしいものです。

自分はダメ人間ですと保険をかけておけば、何かに失敗しても恥をかかなくてよいので楽ですけどね。

それが分かってるならなんで今から必死こいて努力しないの? と筆者なんかは思ってしまいますが……。

「自分のような凡人には……」と謙遜するタイプの人種は、自分は能力の低い人間であることを自覚しています。と白状してるようなものです。

そう思うんなら、もっと危機感をもって焦ったほうがよろしいんじゃないでしょうか……。といつも心の中でツッコミを入れる日々ですよ。

このやり取りに毎度疲れてしまう私みたいなひねくれた人種もいるんで、他者を思いやる気持ちがあるのなら謙虚もほどほどにしていただきたい。こいつ保険かけてるだけだな……と分かるやつには分かりますからね。

謙虚で陰湿なやつ

もうね……、これが一番きもい(笑)

「ボクたいした人間じゃないんで。」と言いつつ裏で人の悪口を言ったり見下したりしてるでしょ? 聞こえないところで。

周りからは害のないやつだと思われて損することもないですし、かといって裏でちょっと目立つやつの風評被害とか流してるっていう。

日本って出る杭が打たれる社会なので、あまり目立たないように善い人ぶって大人しくしてるフリして、陰でこっそり悪口言いまくるのが一番おいしいポジションなわけです。

マジ、不毛だし面倒だからやめてほしい。悪口なら本人に直接言ってくれ。

私も人の悪口は言いますけどね……、こそこそ陰で善い人ぶりながら回りくどい言い方で相手をバカにしたりはしませんね。文句があるときは本人に直接ストレートに言いますよ。

それでなぜか日本社会では炎上して犯罪者みたいな扱いになるんで、全く人にすすめられないやり方ではあるんですが。

ただ、こそこそと陰口を言うのに比べたら、まだ分かりやすくてマシかなと思ってます。堂々と人をけなした挙げ句、大抵はあえなく敗北するんですけども。

人を誉めるのは一種のマインドコントロール

勉強やゲームでもそうですけど、よい点を取ると嬉しくなることがあります。

点数や順位を競うことで何かの価値を得たように思えるからです。

スポーツや音楽などでもそういう要素はあるでしょう。

これらもある種マインドコントロールと言えます。

この場合は良いマインドコントロールですけどね。周りのライバルと点数や順位を競うことで、自分のやってることに熱中して上達が早くなります。

趣味や勉強に用いるなら良い面もあるマインドコントロール。

ですが、その一方でこれを悪用することもできるのです。

ブラック企業や宗教組織なんかでは、『アメとムチ』という心理操作が行われたりします。

それは、まず人間を徹底的に批判したり罵倒して自信や自己肯定感を失わせます。その後で、絶望に陥っている本人をやさしく慰めたり大げさに誉めたたえたりするわけです。これを、その人が洗脳されるまでくり返します。

そうすると、慰められた当人は暗闇の中で希望の光を見いだした気分になり、コントロールする悪人のことをまるで英雄のように思ってしまうのです。

ダメな自分でもこの人(悪人)は救ってくれた。ボクはこの人の部下になってできる限り尽くしていこう。

そう思い、ブラックな上司やインチキ教祖を崇めたてまつり、奴隷のように服従しながら良いようにこき使われるのです。

失意のどん底に落としておきながら、タイミングよく救いの手をさし伸べて英雄視させる。

心理学では、『吊り橋効果』というのがありますけども、落っこちそうな危険な吊り橋の上で女性に後日連絡をくれるように頼まれると、連絡をする男性の割合が大はばに増える、というものです。

心理実験により、恐怖や緊張感の中では女に恋愛感情を抱きやすくなる可能性が確かめられたわけです。

これは、人間の認知または解釈が感情のあとに生じるという理論により説明されています。

吊り橋の上を歩く緊張感が脳内にわき起こるのですが、その感情が生じた理由を意識で解釈しようとする段階で、近くにいるのが魅力的な女だからだと脳が誤認知するわけです。

自分が緊張してるのは、吊り橋の上を歩いているからではく、いっしょにいる女が美人であるせいだと錯覚が起こるんですね。

つまり、この実験を吊り橋ではない普通の平地で行うと、男性はその女に好意をもちません。安全な地帯では、恋愛感情は起こらないことになります。

脳のシステムが誤作動を起こした結果、人間は恋をすることがあります。

ちなみに、吊り橋実験のケースで、人間はドキドキしてるのは高いところを歩いてるからだという認識はもつのでしょうか?

感情を誤認知するというメカニズムから考えると、男性はそう考えていないことになります。橋の上を歩いてるせいで自分がドキドキしていると考えることは、本人にとって自分がわりと臆病であることを認めることになるかもしれません。

橋の上を歩く自分ドキドキ → オレは臆病な男

という自己評価につながることになりえます。

そういった自己に対するマイナス評価を避ける意味でも、この感情の誤認知というメカニズムは有効に働いてるのではないでしょうか?

この仮定が正しいとすると、男性は自分が危険な状態にあることを適切に認識できていないことになります。

近くに女がいることで、危機的状況を恋のせいだと誤認知し、足元よりも女に注目をしてしまいます。

勇敢といえばよく聞こえますけども、これは一時的に危機回避能力が落ちてるとも言えそうです。

恐怖の感情は身の安全を守るためにある重要な機能なので、近くの女性に振り回されることなく正しく認知するべきでしょう。

話を誉めることの効果にもどしますが、人を一旦絶望に落っことしてから救いの手をさし伸べると、希望のない状況から開放されます。それまで感じていた恐怖を、自分を救ってくれた人物が立派だからだと誤認知してしまうことが考えられます。

実際は大したことをしてくれてなくても、その相手を立派で偉大な人物であると錯覚することによって、偉人の前にいるために自分はこれほどの畏怖感を抱くのだと認識をすり替えられます。

実際は、ブラックな上司もインチキな教祖も立派な偉人ではないですし、大してありがたいことをしてくれてもいません。

単にタイミングよくちょっとした援助をしてくれたにすぎません。

ただのタイミングの問題です。

誉めるという行為は、趣味や勉強の上達をうながすことにも利用できますが、人を奴隷下してこき使うことにも悪用できるわけですね。

こうした心理のメカニズムを知って、正しく自分を防衛したいものです。

誉めて操るマインドコントロール

上司や教祖という例を先ほどまで取り上げてきましたが、このテクニックは目上の人間でなくとも利用できるでしょう。

よく世の中には『できないやつが可愛がられる』という現象が見られます。

正確には、能力があろうとなかろうと、その実力や知能を隠してできないフリをし、周りの人間をもち上げたり憧れの視線を送ったりする者のことです……。

ほんと、きもい。

自分の社会的価値を下げて低く見せることで、逆に周囲の人間を遠回しに誉めることをしてくるっていう。けっこう高度な心理テクですが……。

『できない』ことを武器にするのです。

重い荷物を運べない → 運んでもらう → 感謝したり誉めちぎる

高いところのモノが取れない → 取ってもらう → 感謝したり誉めちぎる

学校の授業を聴いてない → ノートを見せてもらう → 感謝したり誉めちぎる

料理ができない → 作ってもらう → 感謝したり誉めちぎる

社会においても上司に媚びるのが上手い人間はうまく立ち回ったり、能力が高いほどなぜか仕事をたくさん任されたりという矛盾が起こりえます。

こうした社会形態ははたして正しいんでしょうか……?

操るか操られるかみたいな人間関係って、生きてて疲れませんかねえ。

謙虚を人を操るために利用し、感謝を支配のツールにする。(これらは、とうぜん善用もできる特性のものです。)

これで社会の生産性って上がるんでしょうか?

ふつう、こんなのがはびこる社会は衰退してくだけのように思いますけどね……。

まとめ

弱さという嘘を利用したマインドコントロールについて書きました。

なんか人間不信になりそうな内容の記事ですけど、どれも私が実際に体験してきた心理操作です。

まあ、人間を信じられない疑いぶかい性格になりましたね。

いくら自分を演じて人を操作することに長けていても、嘘を吐きつづけるのは疲れますしねえ。

正直に人と接したほうが、精神的にラクに生きられるんじゃないでしょうか?

このブログはわりと暗い内容も扱いますが、あくまで筆者が思ったことを正直に書いていくという方針です。

ホントのことを書きすぎると炎上したりという事故が起きるかもですが……。

長文を最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

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